6月の下旬にようやく看板工事が完了しました。
R55線上を紫陽花で有名な雲昌寺方面に向かって車で走ると、否応なしに目に飛び込んで来る看板です。
このバイパスも、開通して約20年ほどですが、元は高台にある畑や原野でした。
ここ周辺の住所は「泉野」と付く通り、遥か昔から水が湧き出ている場所だったようです。
周辺の民家からは里山につながる原野だったので、小学生の頃はこのバイパスまでは奥まった地形が「青い鳥」のように迷子になりそうで、怖さも手伝ったのか近寄ることはしませんでした。
いつだったか友達数人と「探検」と称してこの辺りまで散策すると、原野の狭間に小さな湧き水を発見するのでした。
その湧き水の小さな池、冬になっても凍ることがないので、父はいつの間にか池の鯉たちを冬季間の住まいにしていました。
徒歩で海への漁にも行ける海抜約40mくらいのこの土地。
水害も無い場所で、真山から注ぐ川や湧水といった「生活に不可欠な水」が豊富だと、
この泉野で暮らすことが適正だと原始人たちは知っていたのかも知れません。
その証拠に、この周辺には縄文土器や矢じり、斧などが多く見つかることが多く、安住の地を求めた何千年も前の人々が暮らしていたことがわかります。
ちなみに我が家の以前住んでいた家では、建てる前の基礎工事の際に石斧が出て来ました。
(現在は真山なまはげの里に寄贈しています)
また、私自身も一時期宝探しのように矢じりや土器を探して、数点見つけることが出来ました。
中学生の頃には畑で小銭のようなものを見つけて大興奮したのですが、父に見せるとそれは地下足袋の留め具ということがわかり落胆したのを覚えています。
一瞬「和同開珎」!!っと、ものすごい発見と思ったのですが撃沈でした。
最近、ドッグランの草刈りをしながら「矢じり落ちてないかなぁ~」と子供時代のことをふと思い出し、地面に目を凝らす私です。